新医協(新日本医師協会)は、第二次大戦後の1948年10月、医学界の封建制を批判し、平和の希求、国民の生命と健康を守り、保健・医療・医学研究の民主的発展をめざすことを目的に、医師・医学研究者・保健衛生従事者等により創立されました。
以来70年、医学・医療・保健・福祉・保育の各分野に携わっている多くの専門職の人々と、共同の研究・実践を通じて、それらの総合的発展と国民的課題に応えるための活動を進めてきました。
創立2年目には、日本の医療団体として始めて平和宣言を発表し、その後も、唯一の被爆国として、原爆被害の実情や原爆症の研究を国際的にすすめました。ビキニ水爆実験被災では、いち早く焼津へ医師を派遣し調査にあたりました。また、インターン・無給医制度改善の運動、ポリオ撲滅のたたかい、水俣病や振動病・腰痛・頸腕症などの公害・労災職業病の実態調査と研究に取り組んできました。
ベトナム戦争当時は、アメリカの戦争犯罪を医事・衛生面から明らかにするために、調査団を派遣しました。
精神病患者の「保安処分」反対や精神衛生法「改正」に関する提言を発表しました。老人保健事業や保健所問題、歯科保健医療、母子・小児保健、そして健康と環境汚染問題、さらに公衆衛生活動を、各分野の共同により、“国民の健康を守る”視点から推進してきました。また、東洋医学については、創立より一貫して、日本の医療の中にその確立を求めてきました。
1980~90年代以降、「脳死と臓器移植」「薬害エイズ」「大震災と保健・医療」「O-157の基礎と感染の社会背景」「子どもから青年期の心とからだ」「いじめ・不登校・虐待・ひきこもり」「過労自殺の背景とその予防」「社会福祉型経済への転換を」などの、現在にも引き続く課題に多面的に取り組んでいます。
21世紀を迎えて、社会保障・介護保障、子どもの人権、障がい者の権利、鍼灸治療の健保適用など、制度改善を求める活動を強めています。未曾有の被害をもたらした、3.11東日本大震災と福島核発電所事故では、すぐさま放射能汚染の情報公開を要求し、現地調査・支援を行い、報告会や研究集会を行ってきました。また、近年では、小児保健や子どもの発達障害に関する講演会やシンポジウムを継続的に開いています。
このように、「いのち=くらし」を軸に、多分野・多職種で共同して研究・活動をしているのが、新医協(新日本医師協会)の伝統ある特徴です。