戦争とこころ 

書評
オムニバスならではの快著
戦争とこころ -沖縄からの提言

沖縄戦・精神保健研究会(編)沖縄タイムス社

 どんな生々しい事実も「悲しい」、「悲惨な」などの形容詞や形容動詞でくくられた途端にリアリティが消失する。同じく生々しい事実を統計的手法で迫っても他者説得には使えるがリアリティの再現には及ばない。
 ところが本著には精神科医や保健師の執筆はあるものの、その多くが沖縄戦を体験した一般市民や、戦前の精神病院勤務職、ジャーナリストなどの体験記、ルポルタージュで構成されている。
 読み進むとまるでドキュメンタリー映画を見ている錯覚に襲われる。精神科医や専門職のナレーションを背景に、次々登場する少女や少年が砲弾の嵐の中、横たわる屍(しかばね)を素足で踏み渡って逃げ惑うのである。あまりのリアリティに圧倒されて一気に読み進むことができない。
 しかも沖縄戦の爪痕だけではなく、引き続いた米軍占領下での理不尽と、復帰後も続く基地占有が雪だるまのように沖縄県民の生活とこころを執拗に痛めつけている現状が語られるオムニバスの著作である。
 いったいどんな経過でこれほど広範囲の人々がこの本の完成に携わってきたのかを辿ってみたい。
 本著発刊の端緒は、新医協会員の蟻塚亮二精神科医が沖縄で地を這う臨床から、過覚醒(かかくせい)睡眠の異常な多発にたいする「なぜ?」であった。その「なぜ」を追ううちに30年近い前に現地保健婦(当時名称)當山冨士子の論文にであう。それは沖縄戦体験者に特有の精神疾患を膨大な資料と訪問聴き取りでまとめた野外調査統計である。自分のはるか前を歩いている巨星に出会って呼び止めたのであった。
 この出会いは奇しくも本著の「原爆による精神的被害」を著したやはり会員で中澤正夫精神科医が群馬県保健婦の畏友西本多美江と出逢ったことと符合する。中澤らは精神病者を病棟収容から解放して地域の生活の場で回復をはかる生活臨床をすすめていたが、肝心の受け皿となる地域での療養支援者の確保に奔走していた。それを聞きつけた西本が「それを引き受けるのが私ら保健婦」と胸を叩いたことで一気に生活臨床の展望が開けたのであった。
 病院にはり付く精神科医は、いつもいつも生活の現場を訪ね歩く保健師の事実に基づいた問題意識に遅れを取る。また、人の心に肉薄する精神科医だからこそ保健師の事実に裏付けられた指摘の重さを嗅ぎ分けられる。こうして互いを補い合いながら壮大な事業に取り組んでいくのだ。
 ちなみに新医協は医療福祉のそれぞれの専門家が共に学び合い、啓発し合う組織だが、そのジョイントの位置に保健師があるのもこうした理由による。
 さて、こうして蟻塚は2011年に「沖縄戦・精神保健研究会」を立ち上げた。そして當山と共に市民公開講座を開き、マスコミ、市民を巻き込みながら研究と運動、学会発表と出版活動を精力的に展開していった。市民講座には沖縄戦の語り部が次々と演壇に立ち、この事業を我がこととして取り組まれた。その結果、広汎な書き手が集まり臨場感に溢れるオムニバス本が世に出た。
 いま、東京都写真美術館で「ユージン・スミス写真展」が開かれているが1945年に沖縄で撮影された「家畜のように連行される民間人」と題した作品が掲げられている。100人に及ぶ民間人がぼろをまとい歩くのだが、その誰もが素足である。あの素足で屍(しかばね)を踏み抜いた感触を未だに引きずっている老婦人がその行列の中に居るようだった。  

新医協会長 岩倉政城


機関紙「新医協 1851号」PDF

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